17 dicembre 2000

古典と現代アートの決定的なチガイ

 
良きにつけ悪しきにつけ、今年注目される展示のひとつがフィレンツェでのジョット展だ。ジョット(1267-1337)は、伝統的な絵画技法の教典を塗り替えた。ロンギ(美術史家)がジョットのことをこう例えている。「描写に柔軟なうごきを加え、ローマ時代の彫刻家の理想をもち込んだ。」ローマ時代の彫刻家の理想をもち込んだかどうかについてはすこし異論があるが、的を得た指摘だ。

di

さて、展示会紹介はさておき、「古典美術は現代美術にくらべてストレートで理解しやすい。」という広く流布している誤解に今回はいちゃもんをつけてみたい。「誤解」を作り出しているのに三っつの原因がある。まず、歴史的な背景を無視してとんでもないかんちがいで作品を見ている。ふたつめ。古典は永遠だというゆがんだ思い込み。三っつめ。以上ふたつのかんちがいを産み出している表面的で欠陥だらけの学校教育。


作品がうみだされた時代にあった価値、意味が、時代の変遷とともにどのように変わっていくのか、ブランディ(美術評論家)の意見を引用してみる。



「時代の変遷とともに、作品は物理的に質が低下していくばかりか、作品に与えられた意味そのものまでかわってしまう。文化、ものの考え方、世界の関心のありどころがかわれば、当然、作品が、当時の人々ともに共有していた意味は失われ、その時代その時代にふさわしい別の意味があらたに与えられる。


たとえばドゥッチョ(1260-1318、シエナ)の「主よ。」などがよい例だ。テクニック、デザイン、色彩、コンポジション、主題の表現方法どれをとってもそのすばらしさにいまも感嘆するばかりだが、それは、「処女懐胎」の意味をうったえかけようとした当時のシエナ人の深いおもいがあり、ドゥッチョの天才性があって、はじめて実現した。そのとき、「処女懐胎」のプラカードを掲げ、宗教心にうったえかけた熱烈な宗教行列がシエナの町をうねり歩いた。そうやって掲げていた作品が、将来、歴史的な、芸術な、価値をもち得るなどということは夢にもおもわなかった。」


つまりブランディによれば、芸術作品は時の流れとともにあらたな意味を付け加えて、よみがえる。古典を、それが生みだされた同時代人とおなじ眼で鑑賞することなどありえない。古代キリスト教の世界では抽象的で遠い存在だった神のイメージを、ジョットは、驚くべき技法で目の前にほうふつとさせた。今日できることと言えば、当時の人々が、どれほど敬虔な気持ちで人々を折伏しようとしていたか、その情熱を、ジョットの作品を通して感じ取ることだろう。芸術作品は、その作品がうみだされるに至った時代・状況、そこに生きていた人々、そして作者から、切っても切り離せない関係にある。それが、まったく異なる時代、まったく異なる環境の、美術館などにおかれているのだ。古典作品を見て、「かたち」がはっきりとえがかれているから分かりやすいというのはとんでもない誤解であることが分かるだろう。


1700年までの芸術作品は、おおむね文学、神話、宗教と密接な関係をもっていた。それが当時のひとびとに理解され、うったえかけたのだとすれば、それを、今日まったく別の文化土壌に生きているわたしたちの感性をもって理解することは、不可能にちかい。唯一、資料にのっとった科学的分析のみが古典作品の正確な意味を伝えることができる、ということになる。これはこれでまた難解で分かりにくい。


さて、現代アートもまた、わたしたちが生きている社会のなかからうみだされる。だから、作品の作り出された経緯ばかりか、作者の意図さえもかんたんに理解できようというものだ。それが事態はまったくの逆。現代アートが難しくて、古典のほうが分かりやすいと、一般におもわれている。クリスポルティ(イタリアの著明美術評論家)は、現代のアーティストと一般のひとたちとの関係を、こう説明する。「今日のアーティストは、ほかのひとびとになにかを伝えようとおもって制作していません。さまざまな文化的背景をもつほかのひとたちが、彼の作品のところにやって来て、理解することを要求しているのです。」


確かにそのとおりかもしれない。でもその前に、ふつうの人間には、旅に立つのにそれ相応な「旅行かばん」というものが必要だ。現代アートの問いかけを理解するのに、わたしたちはあまりにかぎられた経験と知識しか持ち合わせていない。この責任がどこにあるのかと言うと、学校教育だ。学校教育は、社会全体の文化水準を向上させていく責任をになっている。それが、こと芸術に関しては、まだまだ至らない。


 アルフレード・シーゴロ(Exibart
2000.06.12.


展示会は、「ジョット展」フィレンツェ Galleria
dell’Accademia
 200066日~930日 荘厳なビザンティン様式から、芸術に人間らしさを吹き込んだ13世紀の天才。少し前まで作者不明だったジョット作品が多く展示されている。月曜日休館。火曜日~日曜日8.30-19時。土曜日8.30-22時。


ジョット..1267-1337)「イタリア絵画の父」と呼ばれ、ダンテ(1265-1321)が「神曲」のなかでほめたたえている。チマブーエ(1272-1302)の弟子。ジャコメッティ(1901-1966)がパドヴァ・スクロヴェーニ礼拝堂でジョットの作品に感銘を受けています。


ドゥッチョ..?(1260-1318)シエナの人。東ローマ帝国ビザンチン文化のくびきを脱っし、色彩、ラインにあたらしい風を吹き込んだ。1300年代初頭、ジョットらのフィレンツェ派としのぎを削る。


パドヴァは、ヴェネツィアから電車で20分~30分。頻繁に出ています。スクロヴェーニ礼拝堂(Capella
degli Scrovengi)はパドヴァの駅からそう離れていないところにあります。

LASCIA UN COMMENTO

Per favore inserisci il tuo commento!
Per favore inserisci il tuo nome qui